日本国憲法

憲法記念日ってことでまじめに憲法について勉強。日本国憲法はよく、Made in U.S.Aだ、と聞きます。その辺の真相についてNHKスペシャルでいい番組をやっていたので、自分なりにまとめ。

新憲法発足のきっかけ

GHQの目的は、日本の民主化および非軍事化。それを達成するために、新憲法作成は必要。マッカーサーより幣原喜重郎首相に、新憲法が必要になる旨を告げられる。それを受けて、憲法問題調査委員会を発足。改憲が必要かについて研究・議論を行う。
GHQは日本政府による新憲法作成をのぞんでいた。
GHQ主導で、言論の自由が進められ、天皇に関する議論を可能にした。政党が復活。民間より憲法草案が出る。このとき既に、天皇の非政治介入や男女平等が謳われている。この草案はGHQにより、民主的な内容で受け入れられるとの評価が下っている。GHQはこの民間草案をもとに日本政府主導で新憲法成立していくことを目指す。しかし・・・

極東委員会の発足

GHQ主導の日本統治に旧ソ連が異を唱える。これをきっかけに連合国11ヶ国で構成する極東委員会がワシントンに設置されることになる。これにより、
アメリカ政府→GHQ→日本政府
という構造が、
極東委員会→GHQ→日本政府
となる。極東委員会の中にはオーストラリアなどの天皇制廃止、天皇の政治責任追及を掲げる国もあった。
マッカーサーは極東委員会発足により、日本統治が非常にやりにくくなると感じただろう。改憲はこの極東委員会の承認が必要となることが決定していた。
こういった背景もあって、極東委員会発足までにGHQ主導で新憲法作成を出来るだけ進めることに。
日本政府に新憲法の草案を作成するよう命じておいて、かたやGHQ民生局20人に憲法草案を1週間で作成するよう、極秘に指示。

草案作成

マッカーサー・ノートをもとに民生局の草案作成。マッカーサー・ノートには、戦争放棄や天皇の政治介入なしが盛り込まれている。戦争放棄については、自衛権すら持たないことがはっきり明記されているが、これは民生局により削除。天皇に関する条文も当初マッカーサーが「head」としていたのを民生局により「symbol」に変更されている。極東委員会への配慮。
1週間後の1946年2月13日、松本国務相と吉田外相がホイットニー民生局長と会談。日本政府案は天皇統治が謳われているなどして、明治憲法と代わり映えがないとし、GHQ案を受け入れることを要請。天皇制維持のため、GHQ案受け入れを決定。GHQ草案をもとに、日本語版の作成。
3/4、GHQ民生局にて会議。条文についてGHQ草案と異なった書きかたをしているところは、許されなかった。GHQ草案絶対。夜通し行われ、3/5 16時終了。
3/6 改正案発表。紙面を賑わす。
これに極東委員会は猛反発。あくまで正式に公布するときは、極東委員会の承認が必要であることを再確認。

議会提出

4/10 総選挙により、吉田内閣発足。改正案が衆議院提出。
衆議院に帝国憲法改正委員小委員会発足。ここで、生存権の追加、義務教育の延長(学校の先生からの嘆願書がそうさせた)が盛り込まれる。また、9条の条文を変更。1項と2項の順番を変えたり色々。

極東委員会検討会議

9条修正がもめた。あいまいさが残る。自衛のためなら戦力および戦争が行えるように思えるとのこと。
これについては、軍人は大臣になれないことを明記することでパス。国民主権を明記することも極東委員会からの指摘。

公布

1946年11月3日 日本国憲法公布。


・・・とまぁこんな流れでした。一応日本人の意見も入っているし、極東委員会の指摘っていうのは、ほぼソ連の意見みたいなもんだし。色んな国の意図が入っているようなので、Made in U.S.Aってのは間違いやね。9条の曖昧さのせいで、朝鮮戦争時代にアメリカから言われて再軍備するはめになってそれが今も自衛隊はどうよ!?ってことになってるけど、9条がマッカーサー案のままなら、それはそれでどうなってたんだろうってのも興味深い。